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別に読まなくてもいいです

日記

<現在時刻は21時42分です>

 

 いざブログを書こうと思ってもキーを叩く指が思うように動かずにもどかしく感じてしまうのは、日記などとは違い第三者に読まれることを前提とした文章を書かなければならないからであって、決して題材にすべき現実のほうがお粗末であるが故にブログを書くための材料、すなわち指を動かす燃料が不足しているせいであるとは認めたくない紛れもない事実なのです。

 

 

<現在時刻は21時46分です>

 

 ならお前ブログという形ではなく私的な日記であればすらすらと淀みなく文章を書くことができるのかと尋ねられれば、素直にはいそうですと答えることはできるのですが、どうにもこれまでの人生で私的に書いてきた日記が、第三者の目から見ても紛れもない日記だと認識してもらえるのかと言われると、ぼく自身ははいそうですと答えるわけにはいきません。通常の文章であれば、書き手と読み手がいればそれで事は足ります。その間に推敲する人間なんかが一人か二人いてもいいでしょう。完璧です。しかし私的な日記となると話は別です。書き手は勿論のこと存在するのですが読み手はこの場合ですと書き手自身となります。ある程度の時間の経過を経ているため純粋に同一の書き手が読み手になるとは言えませんが、それでも充分に読み手はおおよそ同一の書き手とみなしてよいでしょう。読む人間が書く人間と同じであるわけですからその文章は、当然書き手が意識した意図が読み手に100%伝わることを期待した物となるわけです。実際に100%伝わることはないにしてもです。この場合それらは書き手が読み手に対して本来行われるべき配慮がなされていないものとなるわけでして、そういう形が日記としてあるべき姿なのかそれとも他に別の形があるのかぼく自身には全く見当もつきませんがそういう――

 

<現在時刻は21時56分です>

 

 頑張って煙に巻こうと努力したつもりなんですけど、こういうものはどうしても自分の低能中二病を露呈させているだけな気がして恥ずかしいから極力やりたくないというのが建前で、書いている本人はそこそこに楽しんでいる(はず)なので読み手の方々は頑張って斜め読みするなり読み飛ばすなりをしてほしいです。読み手を意識した配慮などと上の方で少しだけ触れましたが、ぼく個人はそういう物事が苦手ですやりたくないです苦痛です。小学生のころから読書感想文は苦手でしたし、毎年毎年飽きもせずに両親に尻を蹴られながら書きなぐった原稿用紙を提出していました。ツイッターがなぜ続くかというと第三者に対しての配慮を建前上無視できるという点が大きいです。読み手が自由に書き手を選べる遮断できる、フォローとブロックとミュートという機能です。受け取る側である読み手に選択肢の大半が与えられている環境ですので、書き手である発信者はいくらでも手を抜くことができます。いざ読み手からクレームが来たとしても開き直ることが可能なのです。これは小心者な自分にとってはとてもありがたい、図太くあることができる理由を建前として与えられている、何でもしていいという訳でもありませんが、それでも有利なのは読み手であって書き手はその不利を理由に盾としてその陰で好きに――

 

<現在時刻は22時06分です>

 

  書き始めてから24分が経過しました。読み手の方々はここまで律儀に読み進めていただいた場合、どれくらいの時間が経過したのでしょうか。正直申し訳ない気持ちでいっぱいという建前に隠れたやってみたかったからいいだろう文句を言うんじゃねぇという本心がこれから先の貴重な読み手を少ない数失ったであろうという想像に押され気味ではあります。煙に巻くということと自分が配慮せずに文章を書くとどれだけ読むに堪えないものが出来上がるのかを、一度実際に野に放つことも含めて確かめてみたかったのです。

 

<現在時刻は22時13分です>

 

 基本的に満足するまで書けたらそこで区切り、10分が経過したらそこで切り上げるという形式で今回は書いています。そうやって制限を設けないと自分は何もできません。いつものように日記を書きたいとツイートしてお終いになるだけです。今回はそうならないように、工夫してでも書きたいことがどこかにあったのです。途中で見失いました。現在1748文字です。ブログのカウンターが正しければのはずですが、数えるのが面倒なので概ね正しいと思います。正直頑張りませんでした。時間はそれなりにかかりましたが配慮らしい配慮を怠ったせいですね。これくらいのものでよければいくらでも、特に苦痛なく書けます。しかしそれではだめなのです。文章は読む手を意識されて初めて成り立つものなので、この配慮されていない日記のような文章とはいくらインターネットであろうと第三者の目に留まるような場所に放り出して良いものではないのです。しかしそうなると、ここまで書くのにかかった時間が惜しくなってくるのが人間というものです。可能な限り無駄なく、極限まで労力をかけずに生きていきたいと思うことは決しておかしなことではないのです。貧乏性は万人が当然持ち合わせていなければならない感覚であるべきだと私は信じています。要するに煙に巻きたいのです。

 

<現在時刻は22時23分です>

 クオリティの高いものとは往々にして思い付きや偶然から生まれる物ですが、この世で幅を利かせている質のいいものとは初めから着地点が見えていたもの以外にはありません。自分に足りないのはそういう視点と考えと努力なんだろうな、という漠然とした形のない無意味な思いはあるのですが、面倒くさいのでここまですべて冗談でしたということにさせてください。ここまでの文章がすべて、読みにくいのも臭いのも壊滅なまでに意味がないのもすべてはぼくの無能に原因があるのではなく、はじめからこんなものを読もうと思ってしまった読み手が悪いのだということにさせてください。これはブログですから、読み終えるまではその価値はわからないのです。そして読み終えたときに読み手は何かしらの評価を下すわけです。ツイッターで言うならば、星を付けるなりやじるしを押すなりブロックするなりです。ブログの場合は面白かったと思うなりもうこのブログを読むのはやめようと思うなりで、読み手は心に誓うだけです。そして書き手はそれに気が付くことはありません、もしかしたら既に読み手なんていないのかもしれません。そうなると最初に触れた私的な日記としての文章とブログとしての文章になんの違いがあるでしょうか。そこには大きな違いがあると思うのですがもう充分に満足したので、ここでは終わりです。現在時刻は22時31分です。書く場合ですと大体50分、読む場合はどれくらいの時間でしたでしょうか。特に気になるわけでもありません