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今年も両親にごめんなさいする日がきたけれどわたしは元気です。

 

今年を振り返るにもまず何も覚えていないのだからどうしようもない。ただぼんやりと面倒くさいことがいくつかあってそれと同じくらい気楽なことがあったような気がする。何にせよ思い返すには多くの時間とエネルギーが必要だし、すべてが終わってしまったいまそれらを思い返す必要があるのかどうか疑問だ。一年はあっという間なんてことを耳にするし実感もするけれど、そりゃあ終わってしまった現在だから言えることで当時の僕はつらかったし面倒くさかったし楽しかっただろうで必死だったしそんなときにすべてが終わって落ち着いたことを想像してみるなんてことはできっこなかっただろうから結局いつの時間だって今ありきで表現する以外の方法を僕は知らない。いつだってダメだな明日は頑張ろうと言い続けていたら一年が経っているし本音を言うと明日以降のことは絶対に考えたくはない。どうして周りの人間は来週の予定がたてられるのか周りにいないひとたちは平然と来月の話ができるのかわからない。わからにけれど誰も教えてくれないのだから自分で想像するしかない何も思いつかない。基本的に人の話を聞くのが好きなのだけれどせっかくブログを作ったのだから自分の話をすべきじゃないかと思って自分について文章を書こうとしたけれど何も書けなかった。Twitterでもそうだけれど基本的に自分の話ができない。できないから何かが好き何かが嫌いといった次元の低い話だけで終わってしまう。もっと高次元な話でも理解できないのでどうしても好き嫌いの次元まで落としてどうにか処理しようとする。自分についてだって好きか嫌いかの二通りでしか話せない。話せないと思っていたらその2パターンでも話せなくなっていた。さらに下の次元となると僕はどうすればいいのか見当もつかない。自己紹介やら自己PRやらどうしてここを希望したのかなんてことを話すように促されても僕には何もできないし何もしたくない。ここに来たのは他の場所よりは比較的マシな選択肢にすぎなかったからですなんてことは言えるわけもないので当たり障りのないことを言って誤魔化したし自己PRなんてしない方法をとったし自己紹介なんて映画鑑賞が趣味ですで乗り切った。映画鑑賞だって趣味と言えるほどのものじゃなくて他に何かするよりも映画を観ているのは楽だからで自己完結できるからで時間が空いている他には何も条件を必要としないことだからであって別に心から映画が好きだとか映画を作ってみたい制作に関わりたいとか何かそれに準ずるものを制作していて役に立てたいからだなんてことは全然なくて余りに情けないどうしようもない、映画に関わる人たちにごめんなさいしなくてはならないんじゃないかと思ってしまう程度には次元が低くてジャンクフードのように使い捨てているだけのような気がしてしまってここ2週間ほどは趣味が読書になってしまった。読書だって最近は全然読めていないしかといって他に何をしているのかと言われると自分でも呆れるほどに何もしていない。ご飯を食べて排泄して睡眠をとっていた。絶対にそんなことはあり得ないのだけれどそれだけでいっぱいいっぱいだったような気がする。じゃあ他にお前らは何をしているんだなんてことを問いかけても問いかける対象がいない。対象がいないのだからその問いは適切に処理されることはない。手が止まる思考が止まる僕だけが止まるけれど周りは何も止まらない。誰かと何かを比べるということは往々にして良いこともあるのだけれどよくないことのほうがずっと多い。だからこそ自分の中に明確な物差しがあって他人と比較することなく生きていくことができる人はつよい。少なくともつよく見える。第三者があってこそ機能するようなものは軒並みゴミだと思っているけれどやっぱりそう簡単にはいかない。どこまでいっても僕は一人称だしそうなると二人称もどこかにいるし三人称だって存在しなければならない。自分の脳が狭すぎて僕はもうだめだしそのことも自覚できない。頭が悪いから自分の限界を自覚できないし問題を自覚できない。これは全部嘘なんですけど程度の低いレベルの低いもっとマシななんてことを小さいころからずっと言われていた。だから同情してくれってことは言いたくないし実際に同情されたら恥ずかしくて死んでしまうし結局僕は何にもしたくない。これだってもう少しマシな文章をかいてみるつもりだったけれどどうやら僕には無理なようでこの有様だ。13歳のハローワークを初めて読んだときに真っ先に小説家のページを読んだ子供だったとは思えない体たらくで僕は悲しい。どうせこんなブログ見に来るひとはいないのだから適当に思ったように書いてしまえと思った訳でもなくて本当にこんな次元の文章しか書けないのだ思うと涙が出る。次はもう少しましな文章を書きたいけれどそれも叶わないだろうからもう一生このざまでいいです。願うことも努力することも祈ることも何もしてこなかったのだから現状に対して文句を言う権利はない。だからこそ僕は15年から16年にかけてずっと“幸福は義務”に縋っていたし来年も変わらないと思う。この文章だって後で読み返して死ぬほど恥ずかしい思いをするだろうけど何でもいい。無能を証明してくれるのだというだけで僕は救われるのだと思いたい。